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東京地方裁判所 平成5年(ワ)14707号 判決

原告 中田健二

中田美智子

白井操

右原告ら訴訟代理人弁護士 豊嶋福之

被告 株式会社第一勧業銀行

右代表者代表取締役 奥田正司

右訴訟代理人弁護士 関口保太郎

脇田眞憲

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

一  原告らの請求

1  原告中田健二(以下「原告健二」という)の被告に対する平成元年一一月二八日付消費貸借契約に基づく金一〇〇〇万円の返済債務は存在しないことを確認する。

2  被告は、原告白井操(以下「原告操」という)に対し別紙物件目録≪省略≫(一)記載の、原告健二及び原告中田美智子(以下「原告美智子」という)に対し同目録(二)記載の各不動産についてされた千葉地方法務局市川支局平成元年一二月五日受付第六〇八〇七号根抵当権設定登記の錯誤を原因とする各抹消登記手続をせよ。

二  事案の概要

1  争いのない事実

本件は、被告から証券投資目的で金一〇〇〇万円の融資を受け、その担保として原告ら所有不動産に根抵当権を設定し、その旨の登記手続を了した主債務者原告健二及びその連帯保証人兼物上保証人であるその余の原告らが、後記2のとおり主債務の返済義務免除の特約等を主張して、原告健二の右融資金の返済債務の不存在の確認と右根抵当権設定登記の抹消登記手続を求めるものである。以下に摘示するのは、当事者間に争いのない基本的な事実である。

(一)  金銭消費貸借契約

被告(市川支店扱い、以下「被告市川支店」ということがある)は、平成元年一一月二八日、原告健二との間で証券投資目的で銀行取引約定を締結した上で、同日次の内容の金銭消費貸借契約を締結し、同原告に金一〇〇〇万円を貸し付けた(以下右契約を「本件消費貸借契約」と、右金員を適宜「本件貸付金」、「本件借受金」あるいは「本件一〇〇〇万円」という)。

(1) 元本 金一〇〇〇万円

(2) 返済期限 平成二年一二月二日限り一括返済

(3) 利息 年六・二パーセント

(4) 利息の支払方法 毎月二日限り一か月分の利息を前払

(5) 遅延損害金 年一四パーセント

(二)  連帯保証契約

原告美智子及び同操は、平成元年一一月二八日、被告に対し、本件消費貸借契約に基づく原告健二の一切の債務を連帯保証した(以下「本件連帯保証契約」という)。

(三)  本件消費貸借契約の書替え

原告健二は、平成四年一月七日被告に対し本件消費貸借契約を次のとおり書き替え、更新した(以下「本件書替契約分」という)。

(1) 元本 金一〇〇〇万円

(2) 返済期限 平成四年一二月二日限り一括返済

(3) 利息 年六・九パーセント

(4) 利息の支払方法 毎月二日限り一か月分の利息を前払

(5) 遅延損害金 年一四パーセント

(四)  根抵当権の設定

原告らは、平成元年一一月二八日被告との間で、別紙物件目録(一)及び(二)記載の各不動産(以下前者を「本件土地」、後者を「本件建物」という)について、極度額を金一〇〇〇万円、被担保債権の範囲を銀行取引による一切の債権、債務者を原告健二とする根抵当権設定契約(以下「本件根抵当権設定契約」という)を締結した上、同年一二月五日右根抵当権設定登記手続(以下「本件各登記」という)を経由した。

なお、本件土地は原告操の所有であり、本件建物は原告健二及び同美智子の共有である。

(五)  ワラントの購入

原告健二は、平成元年一一月二二日本件借受金の内金九二七万三四九〇円を投じて勧角証券株式会社新小岩支店(以下「勧角証券」という)の取扱いで外貨建ワラント(銘柄・日産ディーゼル工業ドルワラント、数量・四〇、行使期限・平成五年九月五日、以下「本件ワラント」という)を購入した。

右代金の支払手順は、平成元年一一月二八日いったん原告健二の普通預金口座に入金された後、その内の金九二七万三四九〇円が同口座から勧角証券新小岩支店に振り込まれたというものである。

(六)  株価の暴落とワラントの無価値化

本件ワラントは、平成二年度に入って、いわゆるバブルの崩壊が始まり出し、やがて株価の暴落によりその価値が急激に低下し、右ワラントの行使期限である平成五年九月五日時点では価値零の評価となった。

この間、原告は被告に対し本件借入金全体に対する利息として合計金一八七万五一八四円を支払っている。

2  原告らの主張

(一)  本件紛争解決の基本的視点

本件紛争は、いわゆるバブル期におけるあらゆる銀行がそうであったように、被告市川支店支店長栗原紘(以下「栗原」という)が同支店の貸出実績を上げるために、原告健二に無用の借入れを執拗に勧め、同支店においてその貸付金運用を引き受け、被告銀行と密接な関係にある勧角証券から同原告名義で本件ワラントを買い付けたものの、これが結果的に裏目に出て、同原告に多額の損害を負わせたというものである。

したがって、以下に述べる原告らの主張を検討し、本件紛争を適正な解決に導くには、単に法規上の形式論にとらわれることなく、証券会社と連携して手段を選ばず専ら利益追求のみを図ってきた銀行業務の実態を直視し、その犠牲となった一般顧客にすぎない原告の救済を図るという視点を失ってはならない。

(二)  債務不存在確認について

(1) 主債務の不存在について

ア 本件借入金返済義務免除特約

本件消費貸借契約には、所定の契約書記載の約定以外に、平成元年一一月二〇日ころ、栗原と原告健二との間で、栗原において同原告の本件借受金の運用(証券投資)を全面的に引き受けて、必ず元利金以上の利益を産み出し、これを右返済金に充てる、したがって最終的に同原告に右消費貸借につき一切の債務を負担させない旨の特約(以下「本件特約」という)が取り交わされていたから、右消費貸借契約は形式的なものにすぎず、同原告は右借受金の返済債務を負わない。右特約の存在は次の事情から裏付けられる。

すなわち、まず、本件消費貸借契約締結の経緯である。前記のとおり当時すべての銀行はバブル期の金余り現象の中にあって強引な貸出に狂奔しており、被告市川支店も例外ではなかったのに対し、原告健二は当時事業経営上も資金に不自由はなく、証券類の投資の経験も関心もなく、銀行融資を受ける必要は全くなかった。本件消費貸借契約は専ら被告市川支店の貸付実績を上げるため栗原から証券投資資金にと懇請され、取引上やむなく承諾したものである。

次に、右借受金の処理及びこれに先立つ諸契約手続が専ら栗原ないし被告市川支店が行っており、原告らの関与が極めて希薄であることである。すなわち、右借受金は本件ワラントの購入に充てられているが、右購入及び払込手続はすべて栗原に委ねられており、借入金の使途、購入債権の種類、銘柄の選定、購入数量、取扱証券会社の指定など借受金運用のすべてにわたり、栗原が勧角証券新小岩支店支店長尾形慎次(以下「尾形」という)と密接な連携を取りながら行っている。その証拠に、原告健二は、右借入金の使途について平成元年一二月一日ころ、勧角証券新小岩支店から証券売買の報告書が送付されてきて初めて栗原の裁量で大量のワラントなるものが購入されたことを知ったにすぎない。この間、同原告は、栗原ないし被告市川支店の行員が勧角証券から預かった契約書類に言われるままに署名、捺印して同人らに交付し、これが勧角証券に渡されており、同原告に交付されるべき本件ワラント預り証も被告市川支店に保管されている。また、右ワラントの購入代金の払込手続も右払込自体は同原告の承諾があるとはいえ、合理的理由もないのに銀行が通常踏むべき手順を逸脱し、本人の自署を欠いた振込依頼書によってされているなど、同原告の関与なく行われている。なお、右に関連して、本件連帯保証契約及び本件根抵当権設定契約についても、被告市川支店から原告美智子及び同操に対して直接意思確認は行われていない。

さらに、被告の利息徴収の不自然な処理である。利息の徴収は極めて重要な銀行業務であるところ、被告は平成二年一一月二日の利息徴収を最後に徴収可能であるのにこれを中止し、平成三年六月一二日に至り突如遡って利息を一括徴収して以来右徴収を継続していたが、平成四年九月に原告健二からの抗議を受けるや、同年一〇月六日に至り同月二日付けで同原告の預金口座に徴収済みの利息相当金四万二八九〇円を返戻し、以後は一切利息徴収を行っていないという不自然な処理をしている。これは、被告が本件特約の存在等により原告らの債務の不存在を承知しているからにほかならない。

右の事実によれば、本件消費貸借契約については、形式上の約定とは別に、これを排斥する本件特約の存在を推認するのが合理的というべきである。

イ 錯誤無効

原告健二は、本件特約のあることを信じて本件消費貸借契約を締結したものであり、右特約が存在しないとしたら、前記の右契約締結に至る経緯に照らして明らかなとおり、右締結に応じるはずがなかったから、かかる誤信の下にした右契約締結は契約の重要な部分に錯誤があったというべく、右契約は無効であり、同原告は右契約に基づく何らの債務も負わない。

ウ 詐欺による取消し

原告健二は、栗原の本件特約の甘言を信じて本件消費貸借契約を締結したのであり、右契約は同人の詐欺によるものであるところ、平成四年八月三一日に到達の書面で被告に対し、詐欺により右契約を取り消す旨の意思表示をした。したがって、右契約は遡って消滅しており、同原告は右契約に基づく何らの債務も負わない。

エ 相殺

原告健二は、次に述べるとおり、被告に対し債務不履行又は不法行為に基づき一一〇〇万三一六六円の損害賠償請求権を有しているから、これを自働債権としてその対当額で本件借入金債務と相殺する。

① 請負類似の債権契約の債務不履行

栗原は、前記のとおり原告健二と本件特約を取り交わしているところ、これはまた、栗原が被告市川支店支店長として右特約を内容とする請負類似の債権契約(以下「本件請負類似契約」という)を締結したものと解することができる。履行期は格別の定めがないが、本件消費貸借契約の書き替えによる最終的な弁済期が平成四年一二月二日であることと対比し、同日と解するのが公平である。なお、栗原に右契約締結権限がなかったとしても、同人の地位に照らし、表見代理の成立が認められるべきである。

ところが、被告は右弁済期が徒過するも契約内容を履行しないばかりか、同原告に損害を与えたものであるから、被告は右契約に基づき右損害を賠償すべき責任がある。

② 不法行為

前記のとおり、栗原は一流銀行の支店長としての信用に基づき顧客の借入金の運用を引き受け、しかも、被告の子会社的な地位にある勧角証券新小岩支店の尾形と共同して、右資金を危険度の極めて高い本件ワラントに投資したのであるから、事前に原告健二に対し、右ワラントの商品としての危険性を自ら又は尾形ら勧角証券の担当者を介して十分説明し、同原告に損害を与えないよう配慮すべき義務(安全配慮義務)があったというべきところ、当時のバブル景気に眩惑されて経済情勢の見通しを誤り、十分な調査検討を怠り、右義務に違反して同原告に多額の損害を与えたものである。

栗原は、被告に雇用され、その職務に関して右所為に及んだものであるから、被告は民法七一五条に基づき、原告健二に対しその被った損害を賠償すべき責任がある。

③ 損害額

前記のとおり、本件ワラントは権利行使期限の時点(平成五年九月五日)で無価値となっており、原告健二はワラント投資額である金九二七万三四九〇円のほか、右に対する借入金利息として別紙損害額明細表≪省略≫のとおり被告に対して支払った利息合計金一七二万九六七六円相当額の合計である金一一〇〇万三一六六円の損害を被った。

したがって、被告は原告健二に対し、栗原の前記債務不履行又は不法行為により右金一一〇〇万三一六六円の損害賠償債務があるというべきである。

④ 原告健二は、被告に対し、平成六年二月二六日の第三回本件口頭弁論期日において、前記損害賠償債権を自働債権としてその対当額で本件借入金債務と相殺する旨意思表示し、右債務はこれにより消滅した。

(2) 連帯保証債務の不存在について(事情)

ア 原告美智子及び同操は、本件連帯保証契約の締結につき、被告市川支店から何ら保証意思の確認を求められていない。確かに、右原告らは、原告健二の持ちかえった右契約書類に署名、押印をしてはいるが、その内容、法的意味は全く理解しておらず、保証意思があったとはいえないのであり、右保証意思の確認も欠く本件では、適法な契約成立を認めることはできないというべきである。

イ また、前記のとおり、主債務は存在しないのであり、この点からも右原告らの保証債務は存在しない。

(三)  登記抹消請求について

(1) 本件根抵当権設定契約は、実質的には本件一〇〇〇万円を担保することのみを目的とする普通抵当権であり、被担保債権に付従する扱いがされるべきところ、前記のとおり右一〇〇〇万円の被担保債権は存在しないから、右担保権も消滅しており、本件各登記も抹消されるべきである。

(2) 次に、原告健二の本件根抵当権設定契約は、形式的なものであり、事実上の負担を伴うものではないという栗原の言辞を信頼して応じたものであり、設定契約自体に錯誤があり無効である。また、原告美智子及び同操の右設定契約は、本件連帯保証契約の無効に関して述べたと同様に担保設定意思を欠き、無効というべきである。

したがって、本件各登記はいずれも登記保持権原を欠き、抹消されるべきである。

(3) さらに、本件根抵当権設定契約が実質的にも根抵当権に関するものであるとしても、原告健二の平成四年八月三一日到達の書面による抗議により、その被担保債権たる本件消費貸借に関する取引は終了し、本件根抵当権は確定したものというべきところ、右確定債権は前記のとおり存在しないのであるから、本件根抵当権も消滅している。

したがって、この点からも本件各登記は抹消されるべきである。

3  被告の主張

(一)  本件消費貸借契約及び本件根抵当権設定契約の締結

(1) 前記争いのない事実(一)及び(三)記載のとおり、本件消費貸借契約が締結され、これは平成四年一月七日弁済期及び利息を変更して書き替えられている。

(2) また、被告は原告美智子及び同操と右消費貸借契約上の原告健二の債務につき本件連帯保証契約を締結し、更に、原告らと本件建物及び本件土地につき本件根抵当権設定契約を締結し、本件各登記を経由した。

(二)  原告健二と被告との間には本件特約及び原告ら主張の請負類似の債権契約なるものは存在しない。

(1) 銀行法一〇条は銀行の業務の範囲を規定している。原告の主張する右合意ないし契約の締結は被告の定款の目的の範囲外である。したがって、右のような合意ないし契約が成立する余地は理論上あり得ないところである。

(2) 仮に、原告ら主張の合意ないし締約があったとしても、その契約上の効果として相手方に損害を発生させない義務若しくは損害補填義務はその内容からして導き出されない。

(3) 原告らが本件特約ないし請負類似の債権契約の推認根拠として指摘する間接事実はいずれも認められないか又はその根拠足り得ない。

ア 本件消費貸借契約は証券投資を目的とするものであるが、右投資のため融資申込みをしてきたのは原告健二であり、栗原が執拗に勧めた結果締結されたものではない。当時、資金的に余裕のある顧客であっても、銀行借入金により証券投資に及んだ例はいくらでもある。

イ また、ワラント購入に当たり、栗原は原告健二と勧角証券との双方の代理人的立場に立って振る舞ったのではない。栗原は、同原告から証券投資の意向を受け、勧角証券新小岩支店の尾形に電話をし、証券投資を希望している同原告がいることを紹介し、その氏名を告げて有望な投資銘柄を質問した結果、尾形から本件ワラントの購入推薦を受け、これを同原告に告げ、同原告はこれを了承して右購入が行われたのである。なお、本件消費貸借契約締結手続、本件ワラント購入手続(代金払込を含む)はすべて同原告の同意ないし了承の下に行われたものである。

ウ さらに、ワラントの預り証の原本が被告市川支店に保管されているが、これは同原告が受領を拒否してその写しのみの交付を希望したため、写しを交付し、原本は保管理由はないがやむなく同支店で保管しているにすぎない。

エ なお、利息徴収に関しても、何ら不公正な扱いをしているものではない。本件消費貸借契約の当初の弁済期が平成二年一二月二日であるため、右契約が書替え(更新)されないときは、同月三日以降は約定の年一四パーセントの遅延損害金となり、かつ、これについては自動引落しの約定の効力が及ばない。そこで、契約書替えまでの間利息の徴収ができなかったまでのことで、右書替えがされた平成三年六月一二日に原告健二の了承の下でそれまでの未徴収利息の一括支払を受けたものである。

また、平成四年一〇月二日付けの利息返戻は、原告が同年八月に被告に対し利息支払拒絶の意思表示を含む本件消費貸借契約の取扱に対する抗議をしてきたため、これが利息の自動引落しの委任契約解除の意思表示とも解されたので、そうであれば右以降利息の自動引落しができないものであったところ、コンピューター処理の誤りにより同年九月分が自動引落しとなったため、これを前記日付で同原告の預金口座に返戻したものである。

右のとおり、利息徴収に関する処理も本件消費貸借契約に関する原告らの責任不存在の主張を被告が容認した根拠となるものではないことが明らかである。

(三)  以上のとおり、本件特約は存在しないから、これが存在することを前提とする原告らの錯誤無効、詐欺取消の主張は理由がない。

(四)  相殺の主張も理由がない。

(1) 自働債権の発生根拠の一つである被告の債務不履行は前提となる本件請負類似契約なるものが認められないから、理由がない。

(2) また、不法行為の主張も理由がない。栗原は勧角証券の社員ではなく、また、本件ワラント購入に当たっても原告健二を尾形に紹介ないし取り次いだにすぎず、右購入の契約当事者でも代理人でもないから、いかなる観点からも栗原がワラントについての説明義務を負うことはなく、不法行為成立の余地はない。なお、同原告は建築設計会社の社長で、一定の資産を有しかつ経済的利害の判断能力もあるので、ワラント投資の適合性の原則に合致しており、また、ワラントに投資することを知り、その内容について質問の機会を持っていたにもかかわらず、何ら質問をしないでその機会を放棄した。したがって、栗原はこの点からも右説明義務を負わない。

さらに、栗原の行為が不法行為を構成するとしても、それは被告市川支店長としての業務若しくはこれに付随する業務ではないから、民法七一五条の要件を欠き、被告は右所為の結果につき使用者責任を負うことはない。

(五)  本件根抵当権設定契約については、原告美智子及び同操は右契約書に署名、押印をしており、同原告らがその意思に基づいて右契約を締結をしたことは明らかであり、右各意思の不存在や錯誤無効の主張は理由がない。

また、原告健二の本件根抵当権設定契約に関する錯誤無効の主張も前記のとおり前提とする本件特約が認められず、理由がない。

4  争点

主たる争点は、本件特約が認められるかである。

三  裁判所の判断

1  本件消費貸借契約、本件書替契約分及び本件根抵当権設定契約が締結されていることは当事者間に争いがない。

なお、原告らは、原告美智子及び同操には本件連帯保証契約及び本件根抵当権設定契約につき、その趣旨を理解しないまま右関係書類に署名、押印したもので、右各契約締結意思がなかったかのごとく主張するが、証拠(≪証拠省略≫、原告美智子及び同健二)を子細に検討しても、かかる事情を認めるに足りる事実は窺われず、かえって、原告美智子及び同操は以前にも同健二に協力して同様の契約書に署名、押印をしている経緯のあることが認められるなど、法的に厳密な意味での理解がどうであったかはともかくとして、少なくとも同健二の債務について保証し、自己の所有不動産に担保を設定することの趣旨は理解した上で右署名、押印に及んだものと推認するのが相当というべきであり、原告らの右主張は理由がない。

2  本件特約の存在について

(一)  原告らがるる主張するところは、そのほぼすべてが強弱の差はあれ本件特約に依拠しているものであるが、右特約を裏付ける契約書等の客観的な証拠は一切なく、原告健二の供述(≪証拠省略≫、原告健二)に右に沿う部分があるのみであり、しかも、栗原の証言(証人栗原)と相反しており、その内容の重要性に照らし、通常は既にこの点でかかる特約の成立を認めることは困難というべきである。

(二)  さらに、関係証拠(≪証拠省略≫、証人尾形慎次、同渡邊一仁、同栗原及び原告健二)に弁論の全趣旨を併せ検討すると、本件消費貸借契約が締結された平成元年一一月当時はバブル景気最盛期の最後の時期であったこと、経営規模の大小を問わず多くの金融機関が貸付先の開拓に凌ぎを削っており、一部には右に伴い銀行関係者の深刻な不祥事も生じていること、当時、原告健二は証券投資の経験がなく、また、個人会社的な建築設計会社を営んでいたが、格別銀行融資を必要とするような財政状態にはなかったこと、本件ワラント購入及びその代金払込手続はほぼ全面的に栗原ないし被告市川支店に委ね、栗原が同月二二日ころ勧角証券新小岩支店の尾形に電話をかけて同原告を紹介し、尾形に有望銘柄の選定を依頼し、同人の選定により本件ワラントの購入が決定され、代金払込みも栗原ないし被告市川支店において同原告の承諾の下に手続面一切を行ったものであり、この間、同原告が積極的に証券購入に関して意見を述べた形跡はないばかりか、同原告は右購入から間もない同年一二月早々勧角証券から送付された「外国証券等受渡計算書」、「口座開設の通知」等を被告市川支店を介して受け取り、本件借入金で本件ワラントが購入されたことを確知するに至ったこと、もっとも、その際、同原告は右ワラントの預り証原本を同支店に預け、写しのみを受領していること等の事実が認められるところ、原告健二の供述中(≪証拠省略≫、原告健二)右認定に反する部分は客観的裏付けを欠き、その余の前掲各証拠に照らして措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(三)  以上認定のところからは、栗原が原告健二に融資を積極的かつ熱心に勧め、その過程で証券投資による運用にも触れ、あるいは右運用により利益の上がる、あるいは損をしない取引市場情勢にあることなどについても言及したであろうことまでは推認されるとしても、右が専ら栗原からの一方的なものとまでは認め難く、まして、当時の被告、被告市川支店あるいは栗原個人について何らかの証券取引不祥事(栗原が本件取引に関して個人的利益を収受していた等)を窺わせるような証拠もなく、原告らの主張も専ら栗原が被告市川支店の貸付実績の向上を図ったというにとどまるのであるから、本件消費貸借契約締結に至る過程で、一支店長にしかすぎない栗原が更に本件特約のごとき内容の約束をしたとまで推認することには無理があり、困難というべきである。なお、被告の事後処理として利息徴収手続の問題が指摘されているが、右処理は被告の前記説明の趣旨に従って行われたものであることが窺われ(証人石原貞治)、右処理をもって、被告が原告健二の債務の不存在を認めたなどといえないことは明らかである。

結局、前記認定したところを踏まえて考察すると、原告健二は栗原の積極的な融資勧誘があったにせよ、当時の上昇一途の経済情勢をも念頭に置いて、最終的には自らの判断で投資利益の得られることを期待して、本件消費貸借契約、本件根抵当権設定契約を締結し、原告美智子及び同操をして連帯保証させた上で右根抵当権設定契約を締結させるに至ったものと解するのが相当というべきである。

したがって、原告らの本件特約の主張は理由がなく、失当である。

3  錯誤無効、詐欺取消の主張について

原告らの右錯誤無効及び詐欺取消の主張はいずれも本件特約の存在を前提とするものであるところ、前記認定のとおり、かかる特約の存在を認めるには足りないから、右各主張はその余について判断するまでもなく理由のないことが明らかである。

4  相殺の主張について

(一)  本件請負類似契約の債務不履行について

右債務不履行の主張は、本件特約を内容とする契約の成立を前提とするものであるが、右特約の認められないことは前記のとおりであるから、その余について判断するまでもなく、右債務不履行の主張は理由がないことが明らかであり、失当である。

(二)  不法行為(民法七一五条)の主張について

原告らは、要するに、原告健二が本件ワラントを購入するに当たり、栗原は勧角証券の尾形らと共に、右購入商品の危険性について説明すべき義務があったのにこれを怠ったとして(原告健二が右購入時に何人からも右説明を受けていないことは争いがないところである)、栗原に不法行為が成立するという。

しかしながら、前記認定のとおり本件ワラント購入の取引は法的には勧角証券と原告健二との間でなされたものであることは明らかであり、栗原は右取引の契約当事者の立場にはないのであるから、特段の事情のない限り、危険性の問題等を含めたワラント商品の性質等に関する説明義務を負うものではない。そして、前記認定に証拠(証人尾形、同栗原、同渡邊及び原告健二)を併せ検討しても、被告市川支店と勧角証券新小岩支店とが業務遂行上協力し合っていたということは認められるものの、そこに格別の不公正、不合理な関係が窺われるわけではないし、また、栗原らから原告健二の自己決定の自由に格別の制約が加えられていた様子もないことを併せ考慮すると、栗原が本来の右説明義務者である勧角証券の担当者と実質的に同一の立場にあるとまで評するに足りる特段の事情があるとは認め難く、栗原に右説明義務違反を問う原告らの主張は理由がないというべきである。

ちなみに、右の点を置いても、原告ら主張のワラント等取引商品の危険性に関する説明義務は本来行政取締法規上のものであり、当然にこれが私法上の不法行為法理に組み込まれるものとはいい難いところ、前記認定の本件ワラント購入時点の証券取引市場の状況は専門家の目にもおよそ低落の兆しを窺うものは認められなかったといってよいのであるから、かかる状況の下で栗原に対し、不法行為責任の注意義務として右説明義務を措定し難いことは一層明らかというべきである。また、原告健二の被った損害は、当時の経済専門家がこぞって予測し得なかったバブルの突然の崩壊により生じたものであり、この点からも栗原には右損害の発生に対する不法行為法上の注意義務違反はなく、不法行為責任を問うことはできないものというべきである。

右のとおりであり、不法行為の主張も理由がなく、失当である。

5  本件各登記の抹消請求について

前記認定のとおり、本件根抵当権設定契約に瑕疵はなく、有効なものであり、また、原告健二の本件借受金返還債務も何ら消滅事由はないから、原告らの被告の本件各登記の保持権原の喪失をいう主張はすべて理由がないというべきである。

6  よって、原告らの請求はいずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤村啓)

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